ZIPANG NIPPON

NIPPONから世界の歴史と自然を時空を超えて旅する多次元ブログ

見えないものを知覚できるものに変換する能力

自分のうちにあるものを他者に、あるいは外部に認知してもらうのに人間はいろんなことができ、また実際にそのようにしてきました。

 

そうしたものを私たちは表現する、あるいは作品というふうに呼びます。

 

このようなブログを書いていることも一つの表現になるでしょう。

 

もっとも、これは「ブログ」というものですが、パソコン上でもしくはウェブ上で自己表現をしていることにほかなりません。

 

自己表現はといえば、実のところ人類の存在そのものの始まりからも様々な形で成されてきたことは間違いありません。

 

今様々な地域で世界遺産なるものも数多く登録する動きがありますが、これらもいわば人類の自己表現の現れであってそのあるものは文化的また芸術的評価をもって後世に存続させたいというのがその根底にある願望なのでしょう。

 

自己表現の別の形には、「音楽」というジャンルがあります。

 

単なる音ではなく、また一種のコミニュニケーションツールでもなく(ただし、何らかのメッセージは伝えれるし多くはそうした意図をもって捜索もされているでしょう。)楽しむことができます。

 

ですが、音楽はまさに字のごとく「楽しむ」機会ではありますが、時に寂しかったり、悲しみを表現したり、怒りや憤りを表現させることさえできます。

 

音楽はそのほとんどをいわゆる楽譜にすることで見える表示で表すことができてしまいます。

 

そして音楽は日本はもとより全世界のいたるところで楽しまれていることはすべての人が周知していることでしょう。

 

とはいえ、楽譜で表せるものはその芸術の一部であって有形とともに無形の部分が多分にあり、とりわけ音楽は聴かせる、つまり鑑賞という形での楽しみ方を提供してくれるものです。

 

最も音楽は、その持つ数多くのジャンルがあり各地に残る古来からの伝統的な音楽的も相まって近年の音楽の中では世界中のネット環境の影響などもあり望むならそのどのジャンルからの影響を受け入れたり取り入れたりできる環境にあることがより複雑で多彩なアーティストを生み出して新たな音楽性とジャンルの芸術が生み出されてきているといえるでしょう。

 

また、音楽は音を楽しむというわけですが実のところ過去から現在に至るまで常に何らかの視覚的な普通を超えたパフォーマンスとともに表現されるということも珍しくはありません。

 

そこにはもはや、じっくり音楽を聴くというよりかは熱狂的な一体感を楽しむという形の音楽の楽しみ方も広く浸透してきています。

 

そしてこれらとともに様々なメディアの発展、音楽的機械、つまり音響機器の様々な関連技術も著しく進歩してきました。

 

それとともに映像におけるより精彩で一層リアルな実像を忠実に再現できる4K映像技術や8K映像などの技術の確立によりますます人間はその尽きない探求心と欲求を成し遂げようとしています。

 

インターネットの世界的な普及とパソコンの低価格化、高性能化またガラケーからスマートフォンの急速な普及はそうした知覚できるものをさらに利用しやすい形へと変えてきました。

 

この時点でも今やパソコンユーザーよりもスマホユーザーのほうが多くなったというニュースも耳にする時代となりました。

 

映像、音楽、そしてコミニュケーションツールといったほとんどを一つにして使えるツールは近年のとりわけ若い世代にとっての欠かせない道具と言えるのでしょう。

 

これれに加えてスマホを一層身近にさせているものは非常に多くのいわゆるアプリと呼ばれるソフトです。

 

それは言ってみればコンピュータープログラムであってスマホが単なる移動体通信端末ではなく、手の中に入る高性能コンピュータでありそのコンピュータに通信機能も付いていると考えたほうが良いでしょう。

 

これによってガラケーでも多少は(機種によっては可能ではあったが)可能であった動画の視聴や音楽をダウンロードしていつでも楽しむというこれまでの携帯電話では考えられなかった使い方が全世界の人たちに爆発的に広まった理由と言えるでしょう。

 

このすべては人が内に秘めた「変換」という能力、適応力と言えるのではないでしょうか?

 

そう考えると、こうした能力をさらに人類はさまざまな不幸で悲しい物事の山積する人類の抱える問題の解決にも一層注意を向け、不幸な現象、悲しい現実を、喜びと永続する楽しみへと「変換」するために使うことができるはずであり今後そのような発想の進展を期待したいと思います。